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紺碧障壁画 [皇居美術館]

宗達/舞楽図屏風左blog.jpg
俵屋宗達 舞楽図屏風 左

私自身は、俵屋宗達の作品には強く引きつけられます。

しかし、必ずしも多くの人が宗達を好きではない事も知っています。
それは、なぜでしょうか?

ogatko_11.jpg
尾形光琳 紅白 梅図屏風
 

日本人の多くは尾形光琳が好きです。
その理由はいろいろあるでしょうが、私から見ると、
まず、《第1次元 社会的理性領域》があることです。
《第1次元 社会的理性領域》から《第6次元 自然領域》までがあります。
普通の意味で古典的な作品に見えるようなものです。

しかし実際にこの尾形光琳の『紅白 梅図屏風を見に行くと、がっかりするのです。おもしろくない。美しくない。感銘を受けないのです。

なぜなのだろうか?
彦坂尚嘉の《言語判定法》での芸術分析では、《原-芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》という芸術概念の梯子が、この作品には無いのです。つまり尾形光琳の作品は、彦坂尚嘉の芸術分析では、芸術ではないという判断がでるのです。

とは言っても、《想像界》の眼で見ると、退化性があって、その限りでは《真性の芸術》であると判断されるので、つまり、まるっきり芸術ではないとは言えませんが、甘い作品なのです。

そのかわりに、《原-デザイン》《デザイン》《反デザイン》《非デザイン》《無デザイン》というデザイン概念の梯子を持っています。ですから尾形光琳は、芸術性を持ったデザイナーなのです。

それに対して俵屋宗達には、芸術概念の梯子があります。

宗達/舞楽図屏風全図blog.jpg
俵屋宗達 舞楽図屏風全図

「アートの格付け」的には《超次元》〜《第6400次元》まであります。だから私は好きで引きつけられるのだと思いますが、それだからこそ、宗達が好きではない人々がいるのだと思うのです。《第6400次元》性というのは,暗い領域ですので、多くの人は見たくないのです。

宗達の絵には、装飾性があります。
正当な芸術というのは、基本として装飾性を否定する所に成立しています。ですので、俵屋宗達の作品は、正当な芸術ではないと言う否定的な見方をする人がいます。ですから宗達をはじめとする装飾芸術を、意匠であるとか言って、低く見るのです。

宗達の場合、装飾性は、法華経からの影響で、多くの人を救うために肯定化されています。その自覚性故に、無自覚な装飾性とは違うものなのです。

私は、俵屋宗達の作品は、《超次元》から《第6400次元》まであって、極めて芸術的に高度なものであって、人類史の中でも最高クラスの作品だと思います。

タグ:俵屋宗達
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