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ロックで考える現代史 ブログトップ

ニールヤングのヴァコーダー(画像追加1加筆1) [ロックで考える現代史]




ニール・ヤングは、1945年生まれのカナダ出身のミュージシャンです。
彼がヴォコーダーを使ったテクノポップをやっていて、それが私は好きでした。

1982年の『トランス』というアルバムです。

この音楽が《超次元》から《第6400次元》まであるものです。


同じコンサートですが、ヴァコーダーを使わないで歌うと、
《超次元》〜《第50次元》までの普通のモダンアートです。

新しいアート工房の時代/ロックバンドのボストンを比喩に考える【加筆2改題1】 [ロックで考える現代史]

 アメリカのロックバンドのひとつであるボストンについて考えてみたいと思います。なぜボストンを問題にするかというと、今日の商業主義のデザイン的な表現の原型の一つであると思えるからです。つまり長谷川祐子が言う所の、アートとデザインの遺伝子が入れ替わったとする主張を立証しているかのようなバンドが、ボストンなのです。《第1次元 社会的理性領域》だけの音楽で、普通の多くの人々が《芸術》として認識し高く評価する音楽性を持ったロックバンドの一つなのです。彦坂尚嘉から見ると、《芸術》ではなくてデザイン音楽で、シニフィエだけのぺらぺらの音楽に聞こえるのですが、この一般の評価と私の芸術分析の落差が興味深いのです。

 ボストンというアメリカのロックバンドは、バンドの形態を持っていはいますが、実際にはトム・ショルツというミュージッシャンひとりによる音楽でした。この音楽を発売しようとしたCBSは、しかし伝統的なバンドをつくって演奏させたようとしたのでした。つまりオーディションをしてミュージッシャンを集めて、トム・ショルツの指示どおりに演奏させたのです。多くのミュージッシャンが参加したにもかかわらずウェブ、結果としては《第1次元 社会的理性領域》だけの音楽という、単層てきな音楽が出現したのです。1976年のデビューアルバム『幻想飛行』です。これがヒットして、トータルで1700万枚を超える売り上げにつながります。

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 トム・ショルツは、マサチューセッツ工科大学大学出身で、ポラロイド社のプロダクト・エンジニアであった人物です。エンジニアの知識を生かして自宅に多重録音機能をもつ音楽スタジオを建設して、そこで音楽を作り出したのです。しかしボストンのアルバムにはコンピューターやシンセサイザーは使っていない「No Synthesizers UsedNo Computers Used」というクレジットがすべてに入っているのですが、しかし実体は、つまり音楽テクノロジーの発達で、コンピューターもシンセサイザーを使わなくても1人で重層的なビックバンドの音が作り出せるようになったのです。後で触れますが、この重層的なビックバンドのような音が、しかしそのようなものであって、実質は重層性はなくて、彦坂尚嘉の芸術分析では《第1次元 社会的理性領域》領域だけしか無い、重層性のあるように聞こえる単層構造の音楽なのです。つまりボストンの音楽は、重層性があるように聞こえる単層の音楽なのですが、このような重層性と単層性の入れ替わる詐術が、アートとデザインが入れ替わる詐術を生み出すトリックの基本であるのです。

 つまり今日のコンピューターを使った「打ち込み」や初音ミクのようなVOCALOID (ボーカロイド)というようなものを使っって、1人で音楽が作り出せるようになるのですが、そういう現象の先駆的な音楽がボストンでありました。

  つまり音楽制作の工房なのですが、新しいテクノロジーを組み込んだ工房の出現は、音楽に限らず美術界でも見られるようになるものです。分かりやすく言うと、道具が変わったのです。芸術を作り出す道具が、がらっと変わったのが、1960年代半ばから1970年代半ばの変化だったのです。

 こういう道具の変化は、芸術の話で語っても、読者の理解を得るのがむずかしいのです。

 

。分かりやすいのは農業です。農業というのは、昔は鋤や鍬、そして牛や馬などの家畜の力で行われていました。つまり人力と家畜力により作動する比較的単純な構造をもつ道具が、伝統的な農業であったのです。

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 産業革命が起きて、農業にまで産業革命化が進むと、道具は農業機械=農機の時代になるのです。耕すためのトラクターとロータリーカルチベーター、田んぼで田植えをするための田植え機、収穫調製するためのコンバインに取って代わられたのです。

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そうするとこれを買うにはお金がかかって、借金をしなければならない。買ったら、農業機械を使いこなさなければならない。それはそれまでの古い農村にあった共同して働く関係も壊して、まったく違った社会関係になるという農村の変貌を生みます。それが農村の産業革命だったのですが、現在はさらに、農村における情報革命が必要な時代になっているのであって、ここでも道具の中にコンピューターやプリンター、そして各種のアプリケーションソフトが入ってきて、大幅に変化するのです。

 

 同様のことが音楽や美術の制作における道具の変化として現れます。つまり筆やパレット、各種楽器やペンと五線譜など人力で作動する単純な構造でもって作動する道具で作られていた音楽や美術が、産業革命化されると、大規模なコンサートホールや大型化した美術館として現れます。

 そうすると搬入や搬出にも自動車は必需品になります。したがってアーティストも自動車免許は必需品になります。作品の制作も、電気によるコンプレッサーや電動の鋸やドリル、さらにはレザーをつかった水平器等々の道具が重要になります。

 音楽でも楽器の電気化されて、それにしたがってアンプやエフェクターの機材が必要です。さらにはコンピューターやシンセサイザー、リズムボックス等々、音楽の機材は録音の機材や、その編集やダビングの機材まで含めて巨大化し、スタジオ化し高額化してくるのです。

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 美術界の工房化は、ジェフ・クーンズやダミアン・ハースト、村上隆と出現するのですが、その先駆形態としては幸村真佐男のコンピューターアート、柏原えつとむのMR.Xや、関根伸夫の環境美術研究所などにさかのぼれるものです。つまり芸術作品が、ギター一本をもったとか、絵筆と画箱をもった従来の個人を軸にした簡単なものから、大規模な設備をもった工房を拠点として生産される時代になったという変化が生まれます。

 

 歴史的に振り返ると、レオナルド・ダ・ヴィンチが出現するようなルネッサンス時代の美術の制作は、やはり工房で行われていました。東洋でも同様であって、中国や朝鮮では画院と呼ばれる工房が中心でした。日本でも、源氏物語絵巻などを作っていたのは「絵どころという工房でした。狩野派は画家の大集団で工房でしたし、葛飾北斎などの浮世絵師たちもまた工房を基盤に作品を制作していたのでした。

 

 それが近代になると、作家は工房を離れて個人として、基本的には全てを個人で私的に制作するようになります。それは同時に販売は画商に分業化し、批評は批評家にやはり分業化するという、近代個人主義のアーティストというのは、個人性と分業制で制作をしていたのです。

 しかし何故モダンアートやモダンペインティンの制作は、先ほど農業の例で述べたような制作の近代化が行われないで、むしろ筆とパレットというような個人的で人力による制作が中心になったのか? という疑問があります。

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西洋美術だけでみれば、その一つの理由は、ルネッサンス以来の絵画が、実はカメラオブスキュラというカメラを使って描いていた、つまり手描き写真であったのですが、それが感光材料の発明によって、写真術が登場したという事実が重要です。

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 つまり西洋美術の近代化こそが感光材料の発明であり、写真術の展開なのです。写真術が登場する事で、絵を手で描くということが時代遅れになった時に、この時代遅れの技術を生き延びさせる様々な工夫がモダンペインティングであったのです。

 つまり日本人が信じている事とは逆であって、モダンペインティングというのは、近代主義の進歩の流れからは外れて、手描きという古い退化した作業として芸術至上主義を追求する流れが主流を形成したのです。

 その近代個人主義の制作が、1960年代末になり限界にきて、しかも1975年にアメリカがベトナム戦争で破れると、それまでの啓蒙主義的理性主義が破産して、新しい枠組みが模索される事態になります。

 そうすると歴史が逆行するように、再び工房化がはじまり、新しい工房システムと、新しい表現が生産されるようになります。それは同時に芸術の工芸化や、デザイン化の様相としても現れたのです。なぜなら、個人が描くというよりも、工房で画工が描くようになると、どうしても工芸化するし、デザインとして量産化する事意外には、工房が維持できなくなるからです。

 芸術の生産が、作家個人の手による作業から、画工という賃金奴隷の手による工房制作に移ったが故に、アートはデザインと工芸化するようになり、同時にそれは多数の顧客のニーズに応えた作品生産を追求する商業主義のアートの台頭になったのです。ボストンというバンドは、このことを、ある意味で純粋に展開したバンドでした。(つづく)

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