人格の有無について [人間を観察する]
人間の性格の中に、人格がある人と、無い人がいるという、観察結果は、なかなかむずかしい問題を突きつけます。
首相の菅直人は、彦坂尚嘉の言語判定法では《第6次元 自然領域》の人で、快楽原則だけで動いている人で、人格が無いのです。
今日の政局に見られる菅直人の行動は、人格の無い人物の行動として、極めて興味深いものと言えます。人格の無い《第6次元 自然領域》の人が、国家権力を握って、しかも権力に執着して行動すると、どうなるのか? という事例として面白いのです。
菅直人をめぐるドタバタの中で、日本の政治構造が解体して行く様に見えます。被害が大きいにしても、もはや政治を解体させて行く以外に道は無いのかもしれません。あまり嘆かずに、「やさしく」観察しているのが良い様に思います。とにかく、どうしようもない崩壊過程の中を、私たちは生きて行く以外にはないのです。
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日本社会には、《第6次元 自然領域》だけしかなくて、快楽原則だけで行きている人が、多数を占めています。
《第1次元 社会的理性領域》から《第6次元 自然領域》まである人物は、快楽原則と、苦痛原則の二重性で生きています。この《第1次元 社会的理性領域》の人物にも、人格はありません。
人格の有る人物というのは、《超次元》から多層の構造を持っている人で、快楽原則、苦痛原則、さらにこの中道の原則をもって、生きている人物です。この人格を持っている人物というのは、人数的には減っています。
日本社会というものは、《第6次元 自然領域》の多数者と、《第1次元 社会的理性領域》〜《第6次元 自然領域》まである指導者の二重構造で形成されています。
日本社会の特徴は、《超次元》まである人格者を、社会的には排除して重要な役職につけないという構造で形成しています。したがって、人格無き社会が作られていて、外交交渉等ができないのです。
私は、この日本社会の構造はかなり昔からのもので、変更ができない様に見えます。その意味で、「あきらめ」と「やさしさ」が必要なのです。かなり異様な、非常識な社会であるのですが、今日、それがさらに壊れて、もっとひどい状態に退化していく状況ですから、ただひたすら、事態を観察して行こうというのが、私の立場です。
2011-06-28 09:58
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今回のエントリーを読んで佐々木孝次という人が書いた『甦るフロイト思想』という本のことを思い出していました。
今、本が手元にないので記憶ですがその本では日本の“偉い人”というのは“形”だけあって中身がないということをラカンの理論やアレクサンドル・コジェーヴの理論に基づいて論じてありました。
つまり形式に魅了されてそれにと同一化することが“偉い人”の生き方だということです。
つまり“人格”がなくて形式だけが動いているだけなんだと思います。
例えば高い地位にあるということはそれだけで気持ちいいことですから彼らがその形式を捨てて人格を獲得しようすることはまずありえないのではないかと思います。
形式に苦悩を感じてそこから脱しようとする契機が人生に現れなければ人は人格を持たないまま一生を終えることになるのでしょう。
by 白蓮 (2011-06-28 13:41)
「人格のない人」というのは、
自分に都合のいいこと・正しいと信じることだけ取り入れて、
それ以外、排除する人たちのことですか?
自閉せずに、ありのままの世界を、
昆虫観察するように、是非をつけずにみていこう。と思います。
by ササオカ (2011-07-03 17:48)
白蓮様
コメントにお返事書いたのですが、不手際で、アップされていませんでした。すみません。佐々木孝次という人は、日本人で、最初にジャックラカンの精神分析を受けた人です。帰国して2冊の本と、エクリというラカンの翻訳書を出しています。この時に読んでいたのが私で、その縁で、佐々木先生がつくった日本ラカン協会に入っています。
by ヒコジイ (2011-07-05 14:57)
オオサカ様
「あのひとは、人格者だ」と昔は言ったのですが、最近は誰にでも人格があると思われる風潮になっています。
「人格をみがく」とか、「人格をつくる」という言い方も、昔は普通にあったのですが、今は忘れられています。
現実に人格の無い人はいます。それも多くいます。10人中8人、少なく見積もっても6人はそういう人たちです。これは意外な事なのですが、人と長く付き合っていると、良い人のような顔をして、かなりひどい事を平気でする人たちです。基本的にエゴイズムだけで作動していて、視点がぶれません。エゴイズムの徹底化において凄まじいものがあります。ずるさも、凄いところがあって、小さなところでも、出し抜いて得をしようとします。そのことが他人に見える事には、無頓着です。
あげればきりがないのですが、広い視野や、広い趣味性はありません。音楽でも自分の好きな物だけを狭く聞きます。美術についても、後半に見ようとか、勉強をしようとはしなくて、狭い範囲で信仰の世界の様に、有る価値を信じて、それとは違う意見を言うと聞かないし、怒ります。
昆虫に似ている存在として描いたのは今村昌平監督ですが、今回の福島原発事故を通して日本人の姿が浮き上がったのは、多くの人が昆虫であるという事でした。そのことを批判する気はないですが、その人たちに話をする時には、極めて気をつけて話さないと駄目です。決して弱い人たちではなくて、エゴイズムと悪意においては凄まじく強い人々です。
by ヒコジイ (2011-07-05 15:11)