3種類の人間と社会構成の模型 [人間を観察する]
人間は一種類ではないのではないのか?
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情報出典:毎日新聞 2011年6月16日(木)朝刊 17面
ザ・特集:原発とともに歴史刻む、東大工学部原子力工学科 1期生の胸中は

東京大学工学部原子力工学科--。半世紀前に産声をあげたこの学科は、日本の原子力発電の拡大とともに歩み、今も同学部システム創成学科環境・エネルギーシステムコースとして歴史を刻んでいる。福島第1原発事故後、1期生たちの胸には何が去来しているのだろうか。訪ねてみた。【宍戸護、顔写真も】
◇「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。むなしい」--東大名誉教授・山脇道夫さん
◇「しばらく原子力は必要。情報をきちんと出し正しく評価することが大事」--IAEA元職員・小西俊雄さん
◇「放射線防護学専攻し怖さ実感。やはり原子力と人間は共存できない」--立命館大名誉教授・安斎育郎さん
白髪交じりの70歳前後の男性7人が掘りごたつ風のテーブルを囲んだ。4月15日夜、東京・新橋の居酒屋で開かれた東大工学部原子力工学科1期生の同期会。誰とはなしに福島第1原発事故の話になった。東大名誉教授の山脇道夫さん(70)は「津波対策を声高にいうべきだった」と悔やんだ。被災地を思い断酒している者もいれば、「支援のために」と東北の日本酒を飲む者も。
1期生は1962年から同学科を専攻した15人(学科創設は60年)のほとんどが長年、原子力畑を歩み、元科学技術庁事務次官の石田寛人さん、元日本原子力学会会長の斎藤伸三さんもいる。うち2人は既に亡くなっている。

広島市に生まれた山脇さんは4歳の時、「ピカドン」を経験した。自宅は爆心地から約6キロ。当時の記憶は脳裏に焼き付いている。社団法人・原子力産業協会が昨年出版した本に山脇さんはこう書いた。<突然閃光(せんこう)が部屋中を包み、しばらくして大きな爆発音とともに強風が襲ってきた。強い衝撃が感じられ、障子や襖(ふすま)、縁側の板敷などが吹き飛ばされた……>
多くの人の命を奪った悪魔の兵器、そして近未来的なすごいもの--原子力は二つの印象を子供の心に植え付けた。高校時代、市内で開かれた「原子力平和利用ミニ博覧会」に出かけ、原子力を使って電気を起こす仕組みのパネルや展示物を見た。「原子力を平和的に使って人を幸福にしたい。米国を見返したい」と思うようになったという。
60年に東大入学。2年のときに原子力工学科が1期生を募集。めぐり合わせを感じ、迷わず進んだ。東大で助手、助教授、教授と歩み、原子力に使う材料や燃料、核融合を研究してきた。
福島第1原発の事故。山脇さんは「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。無念を通り越し、むなしさを感じます」と語り、こう続けた。「それでも人は、科学技術は今度の事故を乗り越えて原子力をコントロールしなければいけない」
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「戦後の貧しい時代、腹をすかせて、電気も満足にない、富山市のあばら家に雪が吹きこむ生活も体験していたから、エネルギーが重要だと思ったんです。あるかないかよく分からないところから新しいエネルギーを作るのはおもしろいなあって」
国際原子力機関(IAEA)元職員の小西俊雄さん(70)は原子力の道を選んだ理由をこう語る。放射性物質については「理屈の上ではコントロールできると思った」と振り返る。
東大大学院修了後、日立製作所に入社。高速増殖原型炉もんじゅの設計から建設まで30年近く携わった。もんじゅは原発から生み出されるプルトニウムが燃料。使った以上の燃料を生み出すため「夢の原子炉」とも言われ、2050年の実用化を目指している。
「ただ」と小西さんは苦笑する。「僕の頭の中では、1990年くらいには実用化しているはずだったんですがね……」
55歳の時にIAEAに採用され、オーストリアの首都ウィーンで7年間過ごした。滞在中の99年、核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」(茨城県)の臨界事故があり、後日、ある雑誌への寄稿文にこう書いた。<『完全な安全』は存在しない。必要なのは『頼れる技術』だと思っている。(略)接した十指に近い専門家は全て、『事故は起きるもの、起きたら民衆に話す、そして改善する、その積み上げで信頼を築く』姿勢を語った……>
小西さんは「原発を推進するうちに『事故は起きないはず』になり、やがて『はず』も抜け落ちてしまったのではないか」と語る。ただ、今すぐ全廃に向かうことには否定的だ。「未来永劫(えいごう)ではないが、しばらく原子力は必要。自然に左右される太陽光や風力では安定した電力にならない。情報をきちんと出し、何が起きたのか正しく評価する。そこが大事なのです」
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1期生の中でただ一人、「反原発」のスタンスで長年、発言してきたのは、立命館大学名誉教授の安斎育郎さん(71)だ。記者はJR京都駅近くのマンションの一室を訪ねた。安斎さんは「学生時代の写真が残っていたんだ」と、テーブルに学生時代の写真数枚を広げた。数人の仲間と一緒に並ぶ黒ぶち眼鏡の青年がそこにいた。意志の強そうな顔をしていた。
最初から原子力を否定していたわけではない。「目新しい学科だし、時代の最先端という感じもした」。専門は放射線から身を守る放射線防護学。安斎さんは学生時代のある実験を語った。「ネズミに多量の放射線を浴びさせて観察する。ネズミは数時間かけて、手足をけいれんさせながら死んでいった。見た目は変わりなくても、解剖すると臓器が大きくなっていたり……衝撃的でした。人類はこんな危険なものを手なずけなくてはいけないのかと」。放射線防護に関する論文を相次いで発表し、69年には東大医学部の助手になった。

国の原子力政策についても疑問を持つようになった。「十分な安全が確保されていないのに原発計画を推し進めている」と。講演会などで国を批判したところ、研究室では無視されるようになった。後日、研究室の一人が「安斎を干せと指示された」とささやいてくれた。電力会社から研修に来た医師は、安斎さんの隣の席で数年過ごした後、「安斎さんを偵察していた」と打ち明けた。原発推進派からは海外留学の誘いも受けた。体のいい厄介払いだと思った。
忘れられないエピソードがある。73年9月、福島第2原発1号機の設置をめぐる福島市の公聴会で、原発賛成派の地元婦人が、高校野球で広島県代表が活躍した例を挙げてこう発言した。「(放射能で汚染されたはずの)広島さえ子供が元気に育っているから、放射能は恐れるに足りない」。結局、東大で17年間助手を務め、立命館大に教授として移った。
福島は、両親の出身地で戦中過ごした疎開先でもある。4月に浪江町を訪れた安斎さんは言う。「菜の花が美しく咲き、桜が咲き乱れるところなのに誰もいない。透明な怖さが沈殿しているように見えました。やはり原子力と人間は共存できないと思います」
記者は他の1期生数人とも電話で話した。誰もが何かしらの虚脱感を抱きながら、人生をかけた原子力の意味を自問しているように思えた。
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この記事、見落としていました。毎日のサイトは、ニュースを横断的にみにくい構造になっていて、困ります。
超次元の方、やはり、京都で打ち止めでしたね。
by NY GAL (2011-06-17 18:44)
http://www.ustream.tv/recorded/15386398
この人も結構スゴイ人だと思いました。
by NY GAL (2011-06-17 18:48)
〈第6次元〉〈第1次元〉〈超次元〉の人間の違いがここまで顕著に現れる記事は興味深いですね。
〈超次元〉の人間には人格があると書いてありますが、その倒錯領域である〈第41~50次元〉の人間には人格が形成されているのでしょうか?
by kjr (2011-06-17 21:36)
kjr 様
コメントありがとうございます。時間に追われて急ぎ書きをしているので、簡略化して書いています。
《第6次元 自然領域》の人は、《第6次元 自然領域》だけの単層の人格です。
《第1次元 社会的理性領域》の人は《第1次元 社会的理性領域》から《第6次元 自然領域》まで6層の多重性を持っています。
最後の安斎育郎氏は、《超次元》から《第6400次元》までの超多層の人格です。
さて、ご質問の件ですが、《超次元》だけの人格者は問題があります。以前に湯浅譲二氏を取り上げましたが、彼の音楽も性格も《超次元》だけであって、私はそのお仕事には敬意を払いつつも、不十分である事を指摘しています。彦坂尚嘉の言語判定法では人格が無い方であると出ます。
同様に、《超次元》の倒錯した《第41〜50次元》だけの人には、問題があって、人格は、彦坂尚嘉の言語判定法では無いとでます。
by ヒコジイ (2011-06-18 13:47)
今まで誤解していたようです…。
質問にご返答頂き、ありがとうございます。
by kjr (2011-06-18 20:56)
ありがとうございます(涙)
by moo (2011-06-19 00:59)