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3種類の人間と社会構成の模型 [人間を観察する]

人間は一種類ではないのではないのか?

多くの人には人格は無いのではないのか?

このような疑問に、私自身は苦しめられてきました。それは人間関係や社会関係がうまくいかないという齟齬の中での苦しみなのです。

その解りやすい例が、今回の福島原発事故をめぐって起きました。多くの人がチュエルノブイリ原発事故や、スリーマイル原発事故の記憶を持っていないで、その記憶の上で考える事や行動する事をしないのです。

人類史の中で、大きな破綻であるこの2つの事故から学ぶ事もしない日本人の大多数というのは、まともなものではありません。

さて、昨日の毎日新聞は、原子力発電を開発して来た3人の東大出身者の話を書いています。顔写真もあります。後にまるごと添付しましたので、それを見てください。

この原発を推進した3人が面白いと思ったのは、彦坂尚嘉の『アートの格付け』で3タイプの人が出ていて、3人の原子力に対する反応とこの『アートの格付け』が面白い結果を示していた事です。

《第1次元 社会的理性領域》の人と、《第6次元 自然領域》の人と、《超次元》の人の3人がいます。

《第1次元 社会的理性領域》の人は、「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。むなしい」と言っています。

《第6次元 自然領域》の人は、「未来永劫(えいごう)ではないが、しばらく原子力は必要」と考えています。

《超次元》の人は、「原子力と人間は共存できない」と判断しています。この《超次元》の人の意見は、日本社会から排除されたのです。

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普通の意味で、《第6次元 自然領域》の人の意見はもっとも常識的で理性的であるように見えます。このタイプの人が多数派を占めて、そして原子力発電を進めてきました。そして今回の大事故になったのですが、それでもまだこりずに、原発の必要性を言います。しかもそれが理性的に見えるのです。

昨日のブログに短くですが私は「記憶を持たない人々」について書きましたが、この《第6次元 自然領域》の人々というのは、実は本質的な意味では記憶が積み重なって行かないのです。目先だけの表皮的な判断で生きています。昆虫であると考えられます。つまり表面的には理性的に見えるのですが、しかし本質的な認識には至りません。
私自身が一番苦しめられて来たタイプの人は、このような《第6次元 自然領域》の人々です。

このような人々が、現実の人間社会を盲目的に押し進めるのです。そして今回の福島原発事故のような亡国の事態に至る。しかしこの事故が、取り返しのつかない大きなものであって、今後も100年単位で、膨大な経費を無意味に消費し続ける事を理解しないのです。そして100万から140万人の規模の死者を生み出して行くという日本民族の衰弱に至るであろう事を理解しません。この人々の至る道が、集団自殺なのです。ネズミが大量に海に飛び込んで行くような集団自殺です。

この《第6次元 自然領域》の人々の表面的な理性性と、楽天性と、愚かさこそが、実は人間という動物の本体なのです。解りやすく言えば人間社会の中の肉体の部分ですね。

それに対して《第1次元 社会的理性領域》の人物は、「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。むなしい」と言っています。日本社会の中での、実はこの《第1次元 社会的理性領域》の人々が、リーダーとして上手く作動して行かないのです。それは何故なのだろうか?

これは多くの人の同意を得られない考え方で、口にするのもまずい考えですが、この《第1次元 社会的理性領域》の人物でも、実は彦坂尚嘉の芸術分析の眼で見ると、人格が無い人物です。

人格が無いという言い方は、まずい言い方なのですが、人格というものは誰にでもあるものではないようなのです。

《第6次元 自然領域》の人々にも人格はありません。この毎日新聞の記事と写真で見る限り、彦坂尚嘉の《言語判定法》という手法で見ると、《第1次元 社会的理性領域》の人も《第6次元 自然領域》の人々も人格が無いという所に、人間社会の深い秘密があるようです。

これは言ってはいけない秘密なのです。

つまりもう一人の《超次元》の人物だけが、人格を持っていて、この人だけが原発の危険性を理解して、警告を発している。その為に、原子力を推進する人々から排除されて来ている。

《超次元》の人は、物事の本質が見えるのですが、この本質の話をすると、日本社会からは排除されていってしまう。

人間の人格とは何か?
このような本質論をきちんとやるのは作業的にはたいへんです。今回の毎日新聞の記事に即して言えば、原子力の危険性の本質を認識することが出来るような人間にだけ人格があります。もっと一般的に言えば、危険を認識できる人だけに、人格があるのです。《危険》というものを正面から見つめられるという事が大切です。

しかし人間社会というものは、実は《第6次元 自然領域》と《第1次元 社会的理性領域》の人々によって構成されていて、そこには人格はないのです。つまり昆虫の社会のようなものです。蟻や蜂の巣のようなものであって、根本として盲目性で作動している。

もちろん、このような人格の有無を言い立てる事は社会的にはまずいのですが、何故にまずいかと言えば、実は人格の無い人間が多数だからです。

人格を形成するという事自体が苦痛を伴う事であって、それは簡単にはできないのです。快楽原則ということをフロイトは言いましたが、人格を形成する事は苦痛を行きて行かなければ不可能なのです。つまり苦痛原則と人格形成が深く結びついているのです。


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情報出典:毎日新聞 2011年6月16日(木)朝刊 17面

ザ・特集:原発とともに歴史刻む、東大工学部原子力工学科 1期生の胸中は

東京大学のシンボル・安田講堂。東大はこの国の「原子力村」を担う人材を多く輩出してきた=平野幸治撮影
東京大学のシンボル・安田講堂。東大はこの国の「原子力村」を担う人材を多く輩出してきた=平野幸治撮影

 東京大学工学部原子力工学科--。半世紀前に産声をあげたこの学科は、日本の原子力発電の拡大とともに歩み、今も同学部システム創成学科環境・エネルギーシステムコースとして歴史を刻んでいる。福島第1原発事故後、1期生たちの胸には何が去来しているのだろうか。訪ねてみた。【宍戸護、顔写真も】

 ◇「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。むなしい」--東大名誉教授・山脇道夫さん

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 ◇「しばらく原子力は必要。情報をきちんと出し正しく評価することが大事」--IAEA元職員・小西俊雄さん

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 ◇「放射線防護学専攻し怖さ実感。やはり原子力と人間は共存できない」--立命館大名誉教授・安斎育郎さん


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 白髪交じりの70歳前後の男性7人が掘りごたつ風のテーブルを囲んだ。4月15日夜、東京・新橋の居酒屋で開かれた東大工学部原子力工学科1期生の同期会。誰とはなしに福島第1原発事故の話になった。東大名誉教授の山脇道夫さん(70)は「津波対策を声高にいうべきだった」と悔やんだ。被災地を思い断酒している者もいれば、「支援のために」と東北の日本酒を飲む者も。

 1期生は1962年から同学科を専攻した15人(学科創設は60年)のほとんどが長年、原子力畑を歩み、元科学技術庁事務次官の石田寛人さん、元日本原子力学会会長の斎藤伸三さんもいる。うち2人は既に亡くなっている。

 

 

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東大名誉教授・山脇道夫さん
東大名誉教授・山脇道夫さん

 広島市に生まれた山脇さんは4歳の時、「ピカドン」を経験した。自宅は爆心地から約6キロ。当時の記憶は脳裏に焼き付いている。社団法人・原子力産業協会が昨年出版した本に山脇さんはこう書いた。<突然閃光(せんこう)が部屋中を包み、しばらくして大きな爆発音とともに強風が襲ってきた。強い衝撃が感じられ、障子や襖(ふすま)、縁側の板敷などが吹き飛ばされた……>

 多くの人の命を奪った悪魔の兵器、そして近未来的なすごいもの--原子力は二つの印象を子供の心に植え付けた。高校時代、市内で開かれた「原子力平和利用ミニ博覧会」に出かけ、原子力を使って電気を起こす仕組みのパネルや展示物を見た。「原子力を平和的に使って人を幸福にしたい。米国を見返したい」と思うようになったという。

 60年に東大入学。2年のときに原子力工学科が1期生を募集。めぐり合わせを感じ、迷わず進んだ。東大で助手、助教授、教授と歩み、原子力に使う材料や燃料、核融合を研究してきた。

 福島第1原発の事故。山脇さんは「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。無念を通り越し、むなしさを感じます」と語り、こう続けた。「それでも人は、科学技術は今度の事故を乗り越えて原子力をコントロールしなければいけない」

  ○ ○ ○

IAEA元職員・小西俊雄さん
IAEA元職員・小西俊雄さん

 「戦後の貧しい時代、腹をすかせて、電気も満足にない、富山市のあばら家に雪が吹きこむ生活も体験していたから、エネルギーが重要だと思ったんです。あるかないかよく分からないところから新しいエネルギーを作るのはおもしろいなあって」

 国際原子力機関(IAEA)元職員の小西俊雄さん(70)は原子力の道を選んだ理由をこう語る。放射性物質については「理屈の上ではコントロールできると思った」と振り返る。

 

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 東大大学院修了後、日立製作所に入社。高速増殖原型炉もんじゅの設計から建設まで30年近く携わった。もんじゅは原発から生み出されるプルトニウムが燃料。使った以上の燃料を生み出すため「夢の原子炉」とも言われ、2050年の実用化を目指している。

 「ただ」と小西さんは苦笑する。「僕の頭の中では、1990年くらいには実用化しているはずだったんですがね……」

 55歳の時にIAEAに採用され、オーストリアの首都ウィーンで7年間過ごした。滞在中の99年、核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」(茨城県)の臨界事故があり、後日、ある雑誌への寄稿文にこう書いた。<『完全な安全』は存在しない。必要なのは『頼れる技術』だと思っている。(略)接した十指に近い専門家は全て、『事故は起きるもの、起きたら民衆に話す、そして改善する、その積み上げで信頼を築く』姿勢を語った……>

 小西さんは「原発を推進するうちに『事故は起きないはず』になり、やがて『はず』も抜け落ちてしまったのではないか」と語る。ただ、今すぐ全廃に向かうことには否定的だ。「未来永劫(えいごう)ではないが、しばらく原子力は必要。自然に左右される太陽光や風力では安定した電力にならない。情報をきちんと出し、何が起きたのか正しく評価する。そこが大事なのです」

  ○ ○ ○

立命館大名誉教授・安斎育郎さん
立命館大名誉教授・安斎育郎さん

 1期生の中でただ一人、「反原発」のスタンスで長年、発言してきたのは、立命館大学名誉教授の安斎育郎さん(71)だ。記者はJR京都駅近くのマンションの一室を訪ねた。安斎さんは「学生時代の写真が残っていたんだ」と、テーブルに学生時代の写真数枚を広げた。数人の仲間と一緒に並ぶ黒ぶち眼鏡の青年がそこにいた。意志の強そうな顔をしていた。

 

 

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 最初から原子力を否定していたわけではない。「目新しい学科だし、時代の最先端という感じもした」。専門は放射線から身を守る放射線防護学。安斎さんは学生時代のある実験を語った。「ネズミに多量の放射線を浴びさせて観察する。ネズミは数時間かけて、手足をけいれんさせながら死んでいった。見た目は変わりなくても、解剖すると臓器が大きくなっていたり……衝撃的でした。人類はこんな危険なものを手なずけなくてはいけないのかと」。放射線防護に関する論文を相次いで発表し、69年には東大医学部の助手になった。

人の姿のない田園地帯の奥に見える福島第1原発の排気筒(上部が水色の塔)=福島県大熊町で2011年6月4日午後1時42分、川田雅浩撮影
人の姿のない田園地帯の奥に見える福島第1原発の排気筒(上部が水色の塔)=福島県大熊町で2011年6月4日午後1時42分、川田雅浩撮影

 国の原子力政策についても疑問を持つようになった。「十分な安全が確保されていないのに原発計画を推し進めている」と。講演会などで国を批判したところ、研究室では無視されるようになった。後日、研究室の一人が「安斎を干せと指示された」とささやいてくれた。電力会社から研修に来た医師は、安斎さんの隣の席で数年過ごした後、「安斎さんを偵察していた」と打ち明けた。原発推進派からは海外留学の誘いも受けた。体のいい厄介払いだと思った。

 忘れられないエピソードがある。73年9月、福島第2原発1号機の設置をめぐる福島市の公聴会で、原発賛成派の地元婦人が、高校野球で広島県代表が活躍した例を挙げてこう発言した。「(放射能で汚染されたはずの)広島さえ子供が元気に育っているから、放射能は恐れるに足りない」。結局、東大で17年間助手を務め、立命館大に教授として移った。

 福島は、両親の出身地で戦中過ごした疎開先でもある。4月に浪江町を訪れた安斎さんは言う。「菜の花が美しく咲き、桜が咲き乱れるところなのに誰もいない。透明な怖さが沈殿しているように見えました。やはり原子力と人間は共存できないと思います」

 記者は他の1期生数人とも電話で話した。誰もが何かしらの虚脱感を抱きながら、人生をかけた原子力の意味を自問しているように思えた。

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 「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想は

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NY GAL

この記事、見落としていました。毎日のサイトは、ニュースを横断的にみにくい構造になっていて、困ります。

超次元の方、やはり、京都で打ち止めでしたね。
by NY GAL (2011-06-17 18:44) 

NY GAL

http://www.ustream.tv/recorded/15386398
この人も結構スゴイ人だと思いました。
by NY GAL (2011-06-17 18:48) 

kjr

〈第6次元〉〈第1次元〉〈超次元〉の人間の違いがここまで顕著に現れる記事は興味深いですね。

〈超次元〉の人間には人格があると書いてありますが、その倒錯領域である〈第41~50次元〉の人間には人格が形成されているのでしょうか?


by kjr (2011-06-17 21:36) 

ヒコジイ

kjr 様
コメントありがとうございます。時間に追われて急ぎ書きをしているので、簡略化して書いています。
《第6次元 自然領域》の人は、《第6次元 自然領域》だけの単層の人格です。
《第1次元 社会的理性領域》の人は《第1次元 社会的理性領域》から《第6次元 自然領域》まで6層の多重性を持っています。
最後の安斎育郎氏は、《超次元》から《第6400次元》までの超多層の人格です。

さて、ご質問の件ですが、《超次元》だけの人格者は問題があります。以前に湯浅譲二氏を取り上げましたが、彼の音楽も性格も《超次元》だけであって、私はそのお仕事には敬意を払いつつも、不十分である事を指摘しています。彦坂尚嘉の言語判定法では人格が無い方であると出ます。
同様に、《超次元》の倒錯した《第41〜50次元》だけの人には、問題があって、人格は、彦坂尚嘉の言語判定法では無いとでます。

by ヒコジイ (2011-06-18 13:47) 

kjr

今まで誤解していたようです…。

質問にご返答頂き、ありがとうございます。
by kjr (2011-06-18 20:56) 

moo

ありがとうございます(涙)
by moo (2011-06-19 00:59) 

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